
僕が前回、意気揚々と「黒龍様の指輪」のレビューをしたのを読んで、君はきっとこう思ったはずだ。「理屈はわかった。でも、やっぱり高いよな…」と。
そう、17,400円。この金額だ。僕も、この金額を前にして、何日も、いや何週間も悩み抜いた。パソコンの画面に表示された「¥17,400」という数字を睨みつけながら、「購入」ボタンを押すことができずに、何度もブラウザを閉じた。だから、君が今、同じように躊躇している気持ちは、痛いほどよくわかる。
なにせ、僕の給料はここ数年、ほとんど上がっていない。昇格も見送られ、ボーナスだって満額出るか怪しいのが現実だ。そんな僕にとって、17,400円という出費は、正直言って、かなり勇気のいる決断だった。
- この17,400円があれば、家族でちょっと良い焼肉を食べに行けるじゃないか。
- 息子の欲しがっていた、大学受験用の参考書を何冊か買ってやれるじゃないか。
- そもそも、効果があるかどうかもわからないものに、こんな大金を払っていいのか?
僕と同じように、給料が上がらない中で必死にやりくりしている君なら、この葛藤をわかってくれるはずだ。この記事では、そんな僕が、どうやってこの「値段の壁」を乗り越えたのか。17,400円という金額と、どう向き合い、どんな価値を見出したのか。その思考の全プロセスを、包み隠さずお話ししようと思う。これは、ただの根性論じゃない。崖っぷちの男が編み出した、自分を納得させるための、必死のロジックだ。
17,400円という価格の壁。僕の財布事情とリアルな葛藤
まず、僕の置かれているリアルな経済状況から話させてほしい。格好悪い話だが、これが現実なんだ。
僕は42歳、中小企業の課長。手取りの月収は、残業代を入れても40万円に届かないくらいだ。そこから、住宅ローンが約10万円、生命保険や学資保険で約5万円が引かれていく。光熱費、通信費、食費…あっという間に、僕の給料は消えていく。妻がパートで家計を助けてくれているから何とかなっているものの、貯金なんて、ほとんどできていないのが実情だ。
先日、高校生の息子が言ったんだ。「父さん、今度の模試でA判定が出たら、新しいスニーカー買ってくれない?」と。もちろん「おう、任せとけ!」と笑顔で答えたが、内心はヒヤヒヤだった。人気のスニーカーは、平気で1万円を超える。その1万円を捻出するのが、今の僕には簡単じゃない。
そんな状況で、「17,400円の指輪」だ。正気の沙汰じゃない、と自分でも思う。
妻に相談なんて、できるはずもなかった。彼女は毎日、スーパーの値引きシールを狙って買い物をしてくれている。自分の服なんて、もう何年も買っていないのを知っている。そんな彼女に、「仕事運が上がる指輪を買いたいから、17,400円くれないか」なんて、口が裂けても言えるわけがない。これは、僕がけして豊かではない小遣いの中から、何とかして捻出するしかない、聖域なき戦いだった。
- 飲み会を3回我慢すれば、買えるか…? いや、付き合いが悪いと思われて、余計に評価が下がるかもしれない。
- 昼飯を毎日おにぎり一個にすれば、1ヶ月で貯まるか…? 体力が落ちて、仕事に支障が出たら本末転倒だ。
- 読もうと思っていたビジネス書を買うのをやめるか…? 自己投資を怠って、どうやって現状を打破するんだ。
考えれば考えるほど、堂々巡り。僕にとって17,400円とは、単なる数字じゃない。それは、家族との外食であり、息子の夢であり、僕のささやかな楽しみでもある。それを犠牲にしてまで手に入れる価値が、この指輪には本当にあるのだろうか?その問いに、僕は簡単には答えを出せずにいたんだ。
「高い」と感じる心を徹底分析。僕たちが本当に失いたくないものは何か?
なぜ、僕たちはこれほどまでに「17,400円は高い」と感じてしまうのだろうか。僕は、自分の心を深く掘り下げて考えてみた。そして気づいたんだ。僕たちが恐れているのは、単にお金を失うことだけじゃない、と。
僕たちが本当に失うことを恐れているのは、以下の3つなんじゃないだろうか。
- お金そのもの(生活への直接的ダメージ)
これは一番わかりやすい恐怖だ。17,400円がなくなれば、その分、生活は苦しくなる。我慢しなければならないことが増える。この直接的な痛みを、僕たちは何よりも恐れている。 - 期待(「やっぱりダメだった」という精神的ダメージ)
これが二番目に大きな恐怖だ。「もしかしたら、人生が変わるかもしれない」という淡い期待。この期待を込めて大金を払ったのに、もし何も変わらなかったら…?その時の絶望感、自己嫌悪は計り知れない。「ほら、やっぱり無駄だったじゃないか」と自分を責める未来を想像すると、足がすくんでしまうんだ。 - 信頼(家族や周囲からの評価的ダメージ)
もし、こんな怪しいものを買ったことが家族にバレたら…。「お父さん、そんなものにお金使ってたの?」と息子に軽蔑されたら?「あなた、どうかしてるわよ」と妻に呆れられたら?お金以上に、家族からの信頼を失うこと。それが、何よりも怖いんだ。
この「3つの恐怖」が、僕たちの心を支配し、「高い」という一言で思考を停止させてしまう。でも、ここで一度立ち止まって、逆の視点から考えてみることはできないだろうか。
♀️ 17,400円を失うリスク
- 家族との外食が1回減る。
- 「やっぱり効果なかった」と落ち込むかもしれない。
- 買ったことがバレたら、家族に呆れられるかもしれない。
- ただの黒い金属が手元に残るだけかもしれない。
♀️ 人生が変わるかもしれないリターン
- 自信を取り戻し、仕事の評価が上がるかもしれない。
- 昇給して、家族をもっと楽にさせられるかもしれない。
- 「お父さん、すごい!」と、再び尊敬されるかもしれない。
- 人生の主導権を、取り戻せるかもしれない。
こうして比較してみると、どうだろうか。僕たちが失うものは「現実的で、短期的なもの」。一方で、得られるかもしれないものは「未来的で、人生を根底から覆すほどのもの」。もちろん、得られる保証はない。でも、この可能性に賭けてみる価値は、本当のゼロなのだろうか?
発想の転換。「消費」ではなく「未来への投資」と捉え直す勇気
僕は何日も悩んだ末に、ある一つの結論にたどり着いた。それは、この17,400円を「消費」と考えるから苦しいんだ、ということだ。
「消費」とは、使ってしまえばそれで終わり。例えば、飲み会で使うお金。その場は楽しいかもしれないが、次の日には何も残らない。でも、もしこの指輪への支払いを「投資」と考えることができたらどうだろうか?
「投資」とは、将来、支払った金額以上のリターンを生み出す可能性のあるものだ。僕は、これまでもたくさんの「自己投資」をしてきた。
- ビジネス書: 1冊1,500円。少なくとも20冊は読んだから、合計30,000円。読んで満足するだけで、ほとんど行動は変わらなかった。
- オンラインセミナー: 有名コンサルタントのもの。1回5,000円。聞いた時はやる気になるが、3日後には熱も冷めている。
- 資格の勉強: テキスト代で10,000円。結局、仕事が忙しくて最後までやり遂げられなかった。
これまでの僕の「投資」は、ことごとく失敗に終わっている。合計すれば、5万円以上のお金をドブに捨ててきたようなものだ。なぜか?それは、僕の「覚悟」が足りなかったからだ。本を読んでも、セミナーを聞いても、心のどこかで「どうせ俺なんて…」という気持ちが抜けきらなかった。
でも、この指輪は違うかもしれない。これは、僕の「覚悟」そのものを形にし、常に身につけることで、24時間365日、僕を奮い立たせてくれる「装置」なんじゃないか?

▼僕がたどり着いた「価値の再定義」
- この17,400円は、「消費」ではなく「投資」である。
- 何への投資か? それは、「変わるきっかけ」と「覚悟を持続させる仕組み」への投資だ。
- 1ヶ月あたりに換算すれば、たったの1,450円。1日あたり、わずか48円。缶コーヒー1本以下の値段で、人生を変えるチャンスが手に入るなら、これは人生で最も安い投資ではないか?
この考えに至った時、僕の心はスッと軽くなった。「高い」という呪縛から解放された瞬間だった。そうだ、問題は金額じゃない。僕自身の、本気度なんだ。
まとめ:値段で迷うのは、本気で変わりたい証拠だ。
もし君が今、この指輪の値段を前にして悩んでいるのだとしたら、僕はむしろ、君に大きな可能性を感じる。
どうでもいいと思っているなら、悩むはずがない。「怪しい」の一言で片付けて、もうこのサイトを閉じてしまっているはずだ。悩んでいる、迷っているということは、それだけ君が、今の自分を本気で変えたいと願っている証拠なんだ。
17,400円は、決して安い金額じゃない。僕も、清水の舞台から飛び降りるつもりで、この指輪を手にした。でも、今なら断言できる。あの日、勇気を出して「購入」ボタンを押した自分を、心から褒めてやりたいと。
もちろん、君に購入を強制するつもりは毛頭ない。決めるのは、君自身だ。でも、もし、このまま何もせず、1年後も同じように「なんで俺だけ…」とため息をつく未来と、わずかな可能性に賭けて、人生のハンドルを自分で握りしめる未来、君はどちらを選びたいだろうか?
その答えが後者であるならば、君にとってこの17,400円は、決して高くはないはずだ。それは、未来の自分からの「今すぐ行動しろ」というメッセージなのかもしれない。

